8月15日。
終戦記念日でしたね。
今回はキャンプからはちょっと離れて、別の話しになります。
では早速。
うちのサブロー
サブローとはうちにあるちゃぶ台の事です。
直径が90cmぐらいの大きさで比較的大人数向けのちゃぶ台です。
サブローとの出会いは自分が20代の後半頃でしょうか。
当時、明治公園で行われていた大規模なフリーマーケット。
明治公園とは渋谷区の国立競技場の脇あたりにある公園です。
国立競技場が1964年東京オリンピックのメイン会場に決まった際に整備され、同年に開園した。
明治公園 - Wikipedia
との事ですが、現在は2020年の東京オリンピックの新国立競技場計画によって閉鎖されています。
好きだったんだけどな、明治公園。
そんな明治公園で行われていたフリーマーケットでサブローと出会ったのです。
お店を出していたのは、たぶん解体屋か片付け業者の方でしょう。
特に綺麗に並べられていた訳でもなく、ジャンクな物が「ガサッと」山にされていた中にちゃぶ台が2つ。
小さいのと大きいの。
小さい方は大きいのより一回り小さい感じで綺麗で足もしっかりしていました。
大きい方は天板がちょっとしなっていて、汚くはないが綺麗でもなく、足にちょっとガタがきている状態でした。
この状態だと小さい方が良さげかなぁって感じなのですが、大きい方には小さい方に無い特徴が。
それはちゃぶ台裏に刻まれた刻印。
戦前のちゃぶ台と三郎さん
大きい方のちゃぶ台に刻まれた刻印にはこう記されています。
昭 三
和 郎
十 出
六 征
年 記
一 念
月
十
一
日
昭和16年の出征紀念。
戦前のちゃぶ台ですか。
なんか、このちゃぶ台、ここで持って帰らないと処分されそうな気がしたんですよね。
売れ残ってゴミにしちゃいけない気がしたんです。
完全な思い込みですけどね。
こうして自宅に新たなテーブル、ちゃぶ台が1つ増える事になったのです。
ちゃぶ台に刻まれている三郎さん。
もちろん、全く存じ上げません。
昭和16年は日中戦争の最中で、12月8日にはハワイ真珠湾を奇襲攻撃、日本は太平洋戦争に突入します。
サブロー壊れる。
戦前のちゃぶ台がうちに来てから10年以上。
ちゃぶ台と言わず「サブロー」と呼んで親しんできました。
その間、引っ越しもしたし、娘も生まれたし、様々な事がありました。
娘も幼稚園に入るころからは遊ぶのも、お絵描きするのもサブローを使っています。
しかし、今年の2018年の春にサブローが壊れてしまったのです。
立て掛けていたサブローが倒れて天板が割れてしまいました。
以前から天板は一部割れていたので、壊れ易くなっていたのでしょう。
真っ二つになってしまいました。
サブローをどうするか決断の時。
お絵描き、勉強、おやつの時など、娘にとっては机となっているサブロー。
サブローが使えないとなると、ちょっと大変です。
どうするか。
こういう家具を修理するのって結構なお金がかかりそうです。
足もガタがきているのでグラグラするし、全体的に傷んでいます。
ぶっちゃけ、もっと使い易い見栄えの良い新品のテーブルに買い替えるが一番手っ取り早く楽なんですよね。
楽天とかで良さげなの見つけて注文するだけですから。
でもねえ。
かみさんと悩んだ結果、出した答えは、修理する。
そして運良く、ちゃぶ台を修理する工房も見つかり依頼して待つこと約二カ月。
綺麗になって帰ってきたサブロー。
修理が完了して受け取りに行ってきたのが一カ月前ぐらいです。
天板の割れを直して、ガタがあった足を直して、部分的に色が剝がれていたので、思い切って全体の色を剥がしてもらいました。
自宅に帰って娘と自分で蜜蝋を塗って無垢の感じになっています。
裏面も色を剥がしてもらっているので蜜蝋仕上げです。
一度着色しているのでどうしても完全には色が抜けませんがこれも味わいでしょう。
三郎出征記念の刻印も残っています。
そして一日過ぎてしまいましたが、8月15日は終戦記念日。
ちゃぶ台の裏、サブローの裏に刻まれた出征の文字。
軍隊の一員として戦地へ行くこと。
だそうです。
自分らの世代は戦争未経験の世代です。
戦後世代で戦争の経験はありません。
戦争についてあれやこれや多くを語る気はありません。
ただ、過去に戦争があった事は紛れもない事実です。
サブローの裏の刻印は戦争があった証です。
今後も自分達がサブローの刻印を見てどう思うか。
娘が大きくなってサブローの刻印を見て何を考えるのか。
自分はサブローに向かってひらがな練習している娘を見るのが好きです。
あとがき
サブローの事はいつか書こう、書こうと思っていたので、
壊れたのをきっかけに記事に書けたので良かったですw。
キャンプ関連の話しでは無いですが、最後まで読んで頂きましてありがとう御座いました~w。